「糸島半島なつ時間。2007」

 8月のある日。
 海風に吹かれて、夏の夕日は
 呼吸を忘れてしまうほどの
 幻想的な色を残しながら 
 加唐島方面へ静かに暮れていきました。
 
 さようなら、夏の日。






















 糸島に越してきたばかりの
 2000年の夏。
 原付バイクにのって、
 あちこちひとりで探検していたら
 この花がたくさん咲く丘に
 辿り着いたのを思い出しました。
 
 とりたてて予定もないのに、
 なぜか近い未来にドキドキする
 原色の夏。
 
 







 子どもの頃、朝のテレビ番組の影響で
 雲の上に行ってみたくて仕方がなかった。
 
 はじめて飛行機に、
 雲の上に連れて行ってもらったときから
 大人になった今でも、
 その気持ちは全然変わらない。
 すずしい顔で窓の外を眺めていても
 いつもココロはやる、あの頃のまま。
 
 
 沖縄方面から帰ってくる飛行機が
 あの山の雲間から、ひょっこり顔を出し
 着陸態勢へ高度を下げ、頭上を飛んでゆく。
 



 
 風にまかせて、波にまかせて
 ぽつんとひとり海に漂っていると
 
 自分が自然の一部であることを
 実感せずにはいられない。
 今この呼吸ができることでさえ、
 自然に酸素をつくってもらっていることを
 ハッと思い出す。
 

 今年の夏は暑すぎて、
 日中、歩いている人をほとんど見かけなかった。
 来年は、どんな夏が来るのだろう?


 ムズかしいことや
 ややこしいことでいっぱいの日は、
 頭がどっぷりと疲れる。
 
 そんな日、自然と足は海へ向かう。
 
 潮の微粒子を身体に浴びながら、
 ただそこにいるだけで、
 自分が疲れている理由が、とてもちっぽけで
 どうでもいいことのように思えるから不思議。
 
 そうか、わたしは
 ちっぽけでどうでもいいことを考え、
 悩んでしまうクセがあるのか!と、
 原因は自分にあることに今さら気づく。



 なかなか「自分の暮らしが大好きだ」と言い切れなかった。
 それは、自分たちの暮らしが地に足がついている自信がなかったから。

 最近、庭の草抜きをしながら、ふと思った。
 わたしは「当たり前のこと」をちゃんとできてる?

 どこで誰と暮らしていようと、
 「本当のわたし」と向き合い、日々に流されず、
 意思をもってやるべきことをしていれば、
 暮らしは自然と地に足がついていくような気がした。




 春、同じ場所で写真を撮った。
 あの日は、収穫前の麦が春霞に覆われていて、
 まだ冬眠から目覚めたばかりのような空気だったけど、
 
 空と山と大地の境界線がくっきり見える夏の日は、
 まだ青い稲穂が風に揺れ、さわさわと音を立てていました。
 車で聞いていたメロウなハワイアンが、染みるように心地よくて。
 なんでもない日常だけれど、
 いつか思い出すに違いない、2007年の夏の午後でした。

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